縁を生かす。

「授業中に、数名の子どもたちが席に着かず遊んでいる。
 なかなか授業が成り立たない。」
 前担任の先生から引き継ぎの言葉。

 そんな問題を抱える4年生の担任になった時の話です。

 授業中に遊んでいる子どもたちの中で、いつも中心的な存在の男の子(Aくん)がいました。Aくんは、いつも落ち着きがなく、集中して授業を受けることができな状況でした。
私も、Aくんにどうやって関わっていけばいいのか悩む日々でした。

 その日も、Aくんと格闘をした日の放課後。

 職員室で、Aくんのことを話していたら、2年生の頃の担任の先生が
「Aくんが落ち着きがないんですか。
 私が、2年担任だったときは、リーダー的な存在で学級をいい方向にまとめてくれる
 頼もしい男の子でしたよ。」
 と言われ、すごく驚きました。
 話を聞いていると私の知っているAくんとは別人のような話でした。

 そして、Aくんの人生に何が起こったのだろうか。という疑問が沸いてきました。

 そんな時、2年担任の先生が
 「Aくんのお母さんって、ずっと病気だったみたいで、Aくんが2年生の時になくなったみたいだよ。」
 と教えてくれました。

 その事実を知り、私はある話を思い出しました。
 それは、致知出版社の小冊子で鈴木秀子先生が書かれた話です。
 私は家に帰り、その話を、もう一度、読んでみることにしました。


縁を生かす
その先生が5年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく
どうしても好きになれない少年がいた。


中間記録に先生は
少年の悪いところばかりを記入するようになっていった。


ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
 勉強もよくできて、将来が楽しみ。」
とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。
先生は、そう思った。


2年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、
 時々遅刻する」
と書かれてあった。


3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
 教室で居眠りをする」


3年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、
4年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
 子どもに暴力をふるう」


先生の胸に激しい痛みが走った。
 
だめと決めつけていた子が突然
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。


放課後、先生は少年に声をかけた。


「先生は夕方まで教室で仕事をするから。
 あなたも勉強していかない?
 わからないところは教えてあげるから」


少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日
少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。


授業で少年が初めて手をあげた時、
先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。


先生はその一滴をつけ、
夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。


「ああ、お母さんの匂い!
 きょうはすてきなクリスマスだ」
 
6年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、
先生に少年から一枚のカードが届いた。


「先生は、ぼくのお母さんのようです。そして、
 今まで出会った中で一番すばらしい先生でした」


それから6年。またカードが届いた。


「明日は高校の卒業式です。
 僕は5年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって
 医学部に進学することができます」


10年を経て、またカードがきた。


そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親にたたかれた体験があるから
患者の痛みの分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。


「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を
 救ってくださった先生を、神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって
 最高の先生は、
 5年生の時に担当してくださった先生です。」

そして1年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
 
「母の席に座ってください」
 と一行、書き添えられていた。

 私は、読み終えたあと涙が溢れて止まりませんでした。
 私にとって、目を開かれた瞬間でした。

 今、私の前にも、お母さんを亡くして、深い悲しみを生き抜いてきたAくんがいる。

 私は頂いた「この縁」をどう生かしていくのか。

 少年と先生はたった一年間の縁でしたが、その縁に少年は生きる希望を見いだし、それを拠り所として生きた。

 私は、その先生のように立派な先生ではないけど、Aくんの悲しみに寄り添い、少しでも愛を届け、Aくんの心に愛と光が届いてほしいと思いました。
 
 子どもたちは、たくさんの思いの詰まったランドセルを背負って、学校に来てくれてい るのだ。と改めて気づきました。

 そして、Aくんだけでなくクラス・学年全員に愛を持って接することを誓いました。

 愛を込めた笑顔。愛を込めた挨拶。愛を込めた言葉かけ。愛を込めた指導。
 愛を込めて生活すること心がけました。

 言葉には力ある。言葉は人を元気にする。
 
 だから、「Aくんは、先生の宝物だよ。」「○○さんは、先生の宝物だよ。」とクラス全員の子どもたちに伝えていました。

 そして、クラスの子どもたちの気持ちが満たされていったのか、
 学級がとても落ち着いた雰囲気になってきました。

 Aくんの気持ちも穏やかになり、授業中も遊ぶ子どもがいなくなり、
 みんなでやる気いっぱい学習する学級集団となっていきました。

 4年生の担任が終わる頃。
 Aくんがそっと私に声をかけてくれました。

「先生って一流の先生になりたいんやろう。
 もう、先生は一流の先生になってるやん。」

 すごく涙が溢れ、嬉しかったことを今でも覚えています。

 私は、子どもたちとのご縁は神様からいただいていると思います。
 お互いが、お互いを必要として、今ここにいます。

 私は、Aくん達のおかげで、愛の溢れる先生に少しだけ近づくことができ、
 Aくん達にすごく感謝をしています。

 目の前に頂いた大切なご縁をどう生かすか。

 教師として、とても大切なことだと思います。

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