2020年1月 新しい自分で 教師人生 ゼロからのスタート。

2012年の3月。

小学校の教師をやめました。

理由は、たくさんありますが、 まずは『結婚する』という大きな節目を迎えたことです。

そして、私にとって教育界が、とても窮屈だったことです。

授業で教材開発しても、 周りの先輩の先生方から「教科書通り」「指導書通り」にすることを指導されました。

資料を工夫して道徳の授業をし、子ども達が涙を流しても、「そんな副読本を使わない授業は道徳ではない。」と言われました。

何かしたいことがあると、いつも叩かれる。
子ども達や保護者からは絶大な信頼を得ることができましたが、教職員間では、なかなかうまくいかない日々でした。

正に『出る杭は、打たれる』毎日でした。

『出る杭は、打たれる。出ない杭は、腐れる。出過ぎた杭は、抜かれる。』という言葉に出会った時は、感動して元気が出ました。

腐った自分になるよりいいと思い、自分を鼓舞して邁進してきました。

そして、今まで教育現場でやりたいことを全部やり、色々なことに挑戦する度に、どんどん起業をしたい気持ちが高まっていきました。その後、人生のフィールドを広げたいと思うようになりました。

そんなタイミングの時に、結婚相手に出会いました。
彼が他県で転職したばかりだったので、私が公立学校教員をやめて、他県に行く決断をしました。

私が教師を辞めた理由の一つ。
『魂を磨き 愛を育む学校』を作りたいと考えていました。

道に迷い、孤独に涙し、行き場のない魂が、その学校で学び、成長して、一人ひとり天命を全うできるように導く魂の学校です。

そんな学校を他県で作りたかったのです。

その学校作りに向けて、まず、飛び込んだ場所が『福祉の虐待の世界』でした。

私自身、今まで教育現場にいて、学校の視点からのみ子どもを理解してきました。

だからこそ、次は、児童理解を深めるために、家庭の視点から子ども達を見つめたいと思い、福祉の世界から教育を見てみたいと思い、福祉の世界に行きました。

児童相談所のケースワークの仕事につき、虐待・不登校・発達障害・引きこもり・うつ病など様々な子育ての悩みを持つ親達の心に寄り添ってきました。

福祉の現場の最前線にいるとき、周りの職員が精神的に病んで薬を飲み始めているのに、私は必死だったので自分の精神が病んでいっていることに気づきませんでした。

そして、福祉の現場を卒業して初めて、自分の体調の異変に気がつきました。

私自身、雪国の環境に体が慣れなかったこと、精神面のケアを怠ったことが理由で、体調を壊してしまいました。そこから、引きこもりの生活が始まりました。

『今まで人を助けることばかりしてきた。今度は、自分の心を助けないといけない。』と、自分自身とじっくり向き合いました。

『人生の宝物は どん底に落ちている』
この言葉に出会った時、涙が出ました。そして、私は、どん底からたくさんの宝物を掴んで這い上がってきました。

私が掴んだ一番の宝物は、『人は生まれてきた。ただそれだけですばらしいこと。自分の体と心を大切にすること。自分を尊重する”自尊心”を育むことが大事だ。』ということです。

自尊心を育てるプログラムを作りたい。子ども達と一緒に作っていきたい。と思い、教育界に戻る決意をしました。

そして、2020年1月から、故郷に戻って教師に復帰しました。
その後、教員採用試験に再度挑戦して、無事、合格することできました。

教員採用試験の面接の時に、これからどんな教師になりたいかと質問されました。

「私は、我以外皆師なり。という言葉が好きです。子ども達、保護者の皆様、先生方から、謙虚に学び続けることを忘れずに、精進していきたいです。」

と答えました。

『我以外皆師なり。』これが私の教師人生の原点となり、ここから第2ステージがスタートしました。

結婚までの私が「初代 陽子先生」です。
ここからが「2代目 よう子先生」です。

新しい自分で、教師人生、ゼロからのスタートです。

ここから、どんな頂上にたどり着き、そこからどんな景色を見ることができるのか楽しみです。

きっと、自尊心の育むプログラムを完成させて、魂を磨き 愛を育む学校ができ、夢が現実となっていると思います。

今まで、てんでバラバラとやってきたことが、いつかきっと一つに繋がり、きらきら輝く大きな虹となり、日本の教育界を明るく照らしてくれると信じています。

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