毎朝、学校に向かう車の中で、心に唱えていたこと。
「 今日も、○○学校○年○組のみんなと一緒に生活させていただき、ありがとうござい ます。保護者の皆様、ご先祖様、ありがとうございます。先生方、ありがとうございます。
○○学校の神様、ありがとうございます。」
教師を一度辞めた私にとって、新たに教壇に立つことは奇跡でした。
子どもたちが、先生と呼んでくれることは当たり前ではなかったのです。
今日も、子どもたちに会える喜びと感謝の心で1日をスタートさせることを大切にしてきました。
教育実習の時、担当の先生が「私は、○○くんは苦手。○○くんはかっこいい。」という発言に驚いたことがあります。教師も人間であると分かってはいるが、教師として、子どもを好き嫌いで判断いいものなのか。すごく疑問を抱きました。
そして、私が出した答えは「全ての子どもたちを自分から好きになる努力をしよう。」ということでした。
先生の思いは言葉にしなくても、子どもたちに伝わっているものです。
子どもたちの心は敏感なので、先生が自分のことをどう思っているかはすぐに見抜きます。
その先生は、何年後かに学級がうまくいかず、保護者から訴えられて、大変な時期を過ごされたと風の便りに聞きました。
教育実習から、15年ぐらいたったころ。
授業中に、立って歩き回る子ども(Aくん)に出会いました。
毎日、Aくんとの格闘の日々で、精神的につらい時期がありました。
そんな中でも、毎朝の感謝の日課を忘れず行ってきました。
そして、ある日。
教師人生初めて、Aくんを嫌いだ。と思ってしまいました。
教育への高い理想を掲げ全力投球だった20代の私だったら、そんなことを思う自分が嫌で自己嫌悪や罪悪感になり、自分を責めて更に精神的にダメージを受けていたと思います。
しかしながら、今は30代。
「嫌いと思うぐらい一生懸命その子と向き合ったんだね。頑張ったね。」と自分の気持ちを受け入れることにしました。
そして、今日だけは、Aくんの言動へ意識をむけずに距離を置こうと考えました。
Aくんにとっても、毎回、私が注目することは息苦しかったと思います。
問題のある子どもに教師はいつでも一生懸命です。
それが、子どもをいい方向に導くこともあるし、情熱が伝わることもあります。
しかし、それが子どもを追い込むことにつながることもあります。
私が高い理想のまま「どうしてこんなにあなたのことを思っているいるのに、なんで、分かってくれないの!」とAくんへ情熱をかければかけるほど、Aくんは私の情熱で焼けていたかもしれません。
だから、子どもとの心の距離をおくことは、教師と子どものお互いのクールダウンになると思いました。
そんな状況でも、毎朝の感謝の日課は続けていました。学級のみんなに感謝する。
Aくんに感謝する。Aくんの保護者やご先祖様に感謝する。
そうやって過ごしていくうちに、私の気持ちの氷も溶けて、新しい気持ちでAくんと関わることができました。
そして、少しずつ、Aくんとの間に絆が生まれてきました。
Aくんから「先生、好き。」と小さな文字で書かれた年賀状を見たときは、涙が溢れてきました。
毎朝、教師の仕事は、感謝することから始まる。
私が今でも大切にしていることです。
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