子どもは、自分の都合のいいように振る舞うことがあります。
子どもは、怒られたくないために、自己防衛で嘘をつくことがあります。
子どもは、何度も同じ失敗を繰り返し、周りをがっかりさせることがあります。
「子どもを信じること。」を教えてくれたのは、
初めて学級担任をしたときでした。
今では、当たり前のように不審者対策の避難訓練を行っている時代となりましたが、。
あの時代は、不審者に気をつけて。と言われ出した始めの頃の話です。
今まで「不審者」という言葉を聞いていなかった子どもたちに、
学校では、「不審者に気をつけて。」と声をかけるので、子どもたちも敏感になっていました。
そんなある日のこと。
クラスの2人の男の子が、朝、学校に来たら、
「先生、昨日、不審者に追いかけられました。」と言ってきました。
私は慌てて、学年主任や管理職に相談をしました。
管理職は、警察に連絡を入れました。
そして、2人を校長室に呼び、事情を聞くことになりました。
その中で、子ども達は不審者に追いかけられたと必死に説明をしました。
管理職は、状況から見て、ただの通りすがりの人でないかと判断しました。
校長先生は子どもたちに「嘘をついてはダメ。」と怒りました。
私は、子どもたちが嘘をつく子ではないので、校長室を出て、もう一度、
ゆっくり子どもたちの話を聞きました。
子どもたちは、
「下校中、後ろから黒ずくめの男の人が、ずっと自分たちを追いかけている感じがした。自分たちが歩くのをやめたら、不審者も歩くのをやめていた。自分たちが走ったら、不審者も走っていた。とても怖かった。」
と話していました。
私は、必死に怖かったと話す子どもたちを見て、今回のことを、子どもたちの嘘として受け取るのではなく、子どもたちが怖いと感じたこと。子どもたちは不審者だと感じたことを信じようと思いました。子どもたちを信じようと思いました。
「先生は、あなたたちを信じるから。昨日は、とっても怖い思いをしたんだね。
また、何かあったらいつでも言ってね。今日も気をつけて帰るんだよ。」
と子どもたちに伝えました。
そして、その日の放課後。管理職から、
「先生、子どもたちに騙されたらいかんよ。子どもたちは、平気で嘘をつくんだから。
子どもを信じていたら、いつか馬鹿を見るよ。」
と言われました。とてもショックでした。
教育の経験を積んできた管理職の言葉は重く、教育を何もしらない私にとって衝撃的でした。
教育とは、子どもを信じることから始まるのではないか。
子どもたちを信じてはいけないのか。
子どもを信じるとは、どういうことなのか。
という疑問や思いが溢れてきて、子どもを信じる。ということが分からなくなってしまいました。
状況からいって、不審者に敏感になっていたから、もしかしたら、通行人が不審者に見えてしまったのかもしれない。と子どもたちが勘違いしたのかもしれない。と思いましたが、子どもたちが、怖い思いをしたこと。不審者だと思ったことは、子どもたちにとっての真実だと思いました。
そして、私は目の前の子どもたちを信じて、日々、子どもたちと関わっていきました。
桜咲く3月。
保護者から手紙と手作りのクッキーをもらいました。
手紙には、こう書かれていました。
「先生、一年間、本当にありがとうございました。
私たち親子にとって、先生は一番の先生です。
先生に出逢ったこと、本当の本当によかったと思っています。
先生が、○○を最後まで信じて下さったこと、忘れません。
これからも先生は、ずっと先生をしていることと思います。学校の先生でも、
つらい時苦しい時くやしい時もあると思いますが、子どものことを信じることの
できる先生だからきっと大丈夫ですよ。
これからも日本一のクラスを作って下さい。
そして、日本一の先生になってください。
優しくて明るくて笑顔が一番似合っている先生へ。
○○も私も先生が大好きでした。」
人生、初めて保護者の方からいただいた手紙です。
あの時、子どもたちを信じてよかった・・・・。と涙がでました。
これから先、どんなことがあっても、子どもたちを信じ、子どもたちの一番の味方でありたいと強く思いました。
子どもを最後まで信じること。
教育は、子どもを信じることが始まるのだと思います。
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