ある年のお正月に、差出人の名前のない年賀状が届きました。それは、たどたどしい一字一字で書かれた、とても真心のこもった年賀状でした。私は、それを見て、すぐに6年生になったAさんの顔を思い出しました。
Aさんを担任したのは、5年生の時です。
とても元気で、人なつっこく、自分の思ったことをハッキリ言える活発な女の子でした。そんなAさんが、2学期後半からあまり宿題をしてこなくなりました。3学期に入ってからは、少しづつ頑張ってくるようになりました。
3学期の終わり頃、突然、Aさんが学校に行きたくないと学校を休むようになりました。
そして、放課後、両親と面談をすることになりました。
両親との面談前日の夜に、尊敬する恩師に電話をして、どう対応をしたらいいか相談をしました。恩師と話をしながら、私はこんなに頑張っているのに。私の限界の状態で日々過ごしているのに。何でこんなにも次から次に問題が起きるのだろうか・・・と涙が溢れてきました。
そんな泣いている私に、恩師は
「保護者の話は最後まで聞きなさい。
とにかく苦しくても、つらくても最後まで聞きなさい。
保護者の話の途中で、あなたが、~だけれども、~だけど、けれど、でも~。と反論して はいけない。話の途中で、教師が、保護者に理解してもらおうと弁解するのは大間違 いだから。」
「Aさんから逃げたら、教師の負けだからね。
何回でも、何回でも体ごとぶつかっていきなさい。」と叱咤激励を受けました。
私は、恩師のアドバイスを受けて、カウンセリングの手法の相手の意見を受容する無条件の肯定を行うことが一番大切だと思いました。そして、相手を見て、話をうなずきながら真剣に聴き、誠実に対応していこうと決めました。
面談当日、両親の話によると、Aさんが頑張って宿題をやってきたときに、私が
「みんなもがんばっているから、Aさんもがんばってね。」と
いった私の一言が。Aさんにとって大変苦しかったようです。
私の期待に答えたいという思いが強ければ強いほど、この言葉は、Aさんも心の重荷になってしまいました。そして、Aさんのお母さんが、
「先生の言葉って、魔法の言葉なんですね。
子ども達は先生の一言でうれしかったり、傷ついたり・・・。」
教師の言葉の重さを初めて知りました。
両親に対して、自分が教師として未熟だったことを反省し、Aさんにつらい思いをさせてしまったことを謝りました。両親の意見を最後まで聞き、私の思いを伝え、穏やかに面談を終えることができました。
そして、次の日。Aさんが学校に来ました。
「Aさん、きつい気持ちでいっぱいなのに、今日はよく学校に来てくれたね。
先生は、Aさんに会えてとても嬉しいよ。この前は、Aさんにとって、つらい言葉を 言ってしまって、ごめんなさい。先生は、今日の昼休み、Aさんとたくさんお話をした いなと思っているよ。」
と伝え、昼休みにAさんとたくさん話をしました。その時、初めてAさんの心の声を聴くことができ、気持ちが通じ合ったような気がしました。
その後、Aさんは6年生になりました。
6年生になってから、Aさんは重い病気が発症して、車椅子の生活になり、ずっと入退院を繰り返していました。そんな中で、Aさんは、必死に私に年賀状を書いてくれました。
一字一字、苦労して書いてある年賀状を見ると、Aさんの気持ちが伝わり、嬉しさと同時に、胸の詰まる思いがいました。
もしかすると、5年生の後半からも、病気の症状が出ていたのかもしれません。宿題をやらなかったのではなく、できないくらい体調が悪かったのかもしれません。そんなAさんの体調の変化に気づくことができなかった自分の無力さをとても痛感しました。
そして、宿題を頑張ってやってきたAさんに対して、Aさんの頑張りを褒めるのではなく、もっと頑張るように声をかけた自分の未熟さを悔しく思いました。
教師の不用意に使う「がんばってね。」という言葉は重いということ。
教師の言葉には、魔法の力があるということ。
Aさんに教えてもらったことを、今でも大切にしています。
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